由  緒
年中行事
境内案内
アクセス

▼鎮座地
北海道旭川市花咲町1丁目

▼御祭神
御祭神:63144柱(平成19年現在)明治戊辰の役より大東亜戦争に至る北海道、樺太関係の国事殉難者

▼由 緒
明治35年5月5日、旭川第7師団長大迫尚敏(おおさこなおとし)は師団将兵の団結精神の涵養を目的として、戊辰・西南の役および、日清戦争にて国事に殉じて靖国神社に合祀された将卒の霊に慰霊顕彰を行い、無言の教育を通じて精強な将兵が育つ事を願い、練兵場に招魂斎場を建て大迫師団長が祭主となり靖国神社例大祭日に合わせて招魂祭が斎行されました。

明治40年現在地(旭川市花咲町)に移転、社殿の老朽化が著しいため、明治43年上原師団長・河島醇北海道庁長官(北海道知事)発起のもと、道内有志の賛助を得て、明治44年6月4日落成式、5・6日の両日は軍官民挙げて盛大に招魂祭を斎行。この日より毎年の慰霊大祭日と定めました。

日本は満州事変・支那事変に始まり大東亜戦争の勃発、北鎮の将兵は祖国防衛の任に当たり、最終戦たる沖縄玉砕に至るまで実に5万5千有余柱の尊い命を祖国の為に捧げられました。
昭和8年9月25日招魂場及び境内整備工事が着工。翌年10月1日内務大臣より北海道招魂社創立の許可が下され、11月12日には熱意あふれる浄財により招魂社が完成、名実共に北の靖国神社になりました。
昭和14年4月内務大臣指定護國神社となり、北海道招魂社から北海道護國神社と改称、国家が維持管理をする制度改正に伴い専任社司を設けることが決まり、初代宮司藤枝修衡が任命されました。
昭和20年8月15日大東亜戦争終結。この年全国の護國神社・官国弊社にとって最後の官営祭典となり神社史上重要な意義を持ちます。
終戦後連合軍命令により宗教団体法廃止、宗教法人令公布にて全国約10万9000社の神社が強制的に宗教法人となり、全国護國神社に於いては、連合軍監視をかわす一つの方法として「護國」の文字を取る案もあり、当神社にても昭和21年10月北海道神社と社名を変更、昭和26年9月8日、日本独立により北海道護國神社に復称、然るに終戦後合祀する英霊は実に戦前の12倍に及び、社殿の狭さを感じる程となり、昭和35年2月21日社殿の大改修工事計画のもと町村金五氏(知事)を総裁に、全道市町村より寄付を賜り昭和39年9月19日に典雅な総流れ造りの本殿が完成し現在に至ります。
昭和43年9月3日北海道開拓100年記念式典にご臨場の為、御来道遊ばされました昭和天皇皇后両陛下には、畏くも当神社に御親拝を賜りました。

▼社殿と神苑
境内の広さは約2万坪に及び、北海道・樺太両池は地下200mより吸い上げた真清水で満たされており、戦前各市町村より献ぜられた樹木が立ちそびえ、そのなかに壮麗な社殿が構えられています。社殿の総坪数は約5百坪、天雅な総「流れ造り」に統一され緑に映え雪に照り輝き四季を通じて美しく、そこはかとなく漂う一抹の憂愁感は感慨一入に深いものかと存じ上げます。


▼境内の動植物
境内の森林には大雪山系の原生植物が約140種あまり自生し、清澄うつぼなど全国的にも奇草といわれるものが群生している最北端でもあります(6月中旬頃開花)。
また、夏鳥として、本州北部より北で繁殖するチゴハヤブサなどの野鳥も見られ(6月中旬〜7月中旬)、多くの写真家が訪れます。
チゴハヤブサ 清澄うつぼ
画像提供: カワセミkokotonドットネット
寺田幸夫・功子様




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